■1999/09/01水:ザルツブルクからウィーンへ

準備編1準備編21)フランクフルトへ2)ハイデルベルクへ3)ローテンブルクへ4)フュッセンへ5)インターラーケンへ6)ユングフラウヨッホへ7)サンモリッツへ8)ザルツブルクへ9)ウィーンへ10)ウィーンでの自由行動11)帰国へ 
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 昨夜は、Webの修正を行っていたら、結局寝たのが11:30になってしまった。今朝は5:30に起きたのでまた今日も寝不足である。

 昨日のホテルもデジタル電話だったので通信向きには出来ていない。朝、9シリング支払ったが、これは手動によるダイヤルの結果である。しかし、それでも接続できず不首尾に終わった。

 電話には、トーンダイヤルと、パルスダイヤルがあり、さらにそれぞれをビジネス電話のようにシステム化したものがあり、さらに、ISDNによるデジタル電話がある。最も難物がデジタルのものであるが、2日連続でこれにあたったというわけである。モデムダブラープロを持ってきてはいるので手動ダイヤルの可能性はあるのだが、これに当たったら、今後も通信できる自信がない。会社の電話で試してみるのが先決かもしれない。

 

05:30 起床

06:30 荷物出し、タミーノにて朝食

07:30 出発

07:59 ザルツブルクを出る

 今日は空がどんよりと澱んでいる。ちょっと雨が降ったとき以外では、最悪の天気かもしれない。でも晴男、晴女が何人もいるようだから、今日も多分大丈夫だろう。

08:28 ボルフガング湖/ザンクトギルゲン: 売店ではテーブルクロスなどを売っていた。シュナップス(杏の蒸留酒?45%)を2杯試飲。これだけで結構良い気分になってしまった。

 ウィーンで買った品物の免税手続きに関しては、ウィーン空港を出るとき、トランクの中に物品を入れておくこと(フランス等で他の人に渡さないことを示すため)。酒の税金ではワインが得。150円/本。しかも100円未満は税関で切り捨てしてくれる。タバコは税金面ではメリットなし。

09:58 モント湖近くのモントゼーの教区教会(サウンドオブミュージックでマリアとトラップ大佐の結婚式が行われた)/日本へのスタンプが16シリング

10:30 出発/サウンドオブミュージックを聞きながら牧草地の中のアウトバーンを一路ウィーンへ

11:48 Haagのサービスエリアでトイレ休憩。ウィーンへの中間程度。残り1時間20分程度。

 車中、ハプスブルク家の話し(エリザベートやルドルフ皇太子とマリアベッツェラの話し等)。

 これまでドイツ、スイス、オーストリアを走ってきて、一度も黒〜オレンジ以外の色の屋根を見かけたことがない。また、屋根の殆どが(集落地域では恐らく99.5%以上)決まった勾配の屋根形状となっていると思われる。この2つの要素で町の景観の統一感が保たれている。もちろん、この他に集落周辺のきちんと管理された様子や、シンボルとなる教会の尖塔が集落の景観のすばらしさを形成していると思われる。

 スイスや今回のドイツと比べると、オーストリアの方が景観的にも土地利用的にも多少柔軟性はありそうで、農村地帯に突然と工場施設が建っていたりする。

 なんて書いてきたら、ウィーン郊外で緑色の屋根を3軒ほど見かけたりした(^_^;)。

 

●ウィーン_Wien_(大辞林/三省堂)

 オーストリア共和国の首都。ドナウ川南岸のウィーンの森をひかえた美都。音楽の都として名高い。〔「維納」とも書く〕

●ウィーン Wien(百科事典マイペディア97)

 オーストリアの首都で一州をなす。ウィーン盆地の北西にあり,市街の大半はドナウ川右岸,南は東アルプスの延長であるウィーナーワルトの丘陵地。ヨーロッパの学問・芸術の一大中心で,機械 ,電子工学,織物,化学製品,工芸品などの工業の中心,水陸交通の要地でもある。

 古代ローマ軍団の駐屯地。1278年来⇒ハプスブルク家の支配を受け,その都として発展。1237年―1288年の間しばしば神聖ローマ帝国自由市となる。1365年には⇒ウィーン大学が創設された。1485年―1490年ハンガリー王の支配,1529年,1683年トルコ軍の攻囲を受ける。18世紀マリア・テレジア治下に繁栄。1805年,1809年ナポレオン軍が占領。⇒1848年革命で市民が蜂起。第1次大戦後連邦共和国の首都となる。1938年―1945年ナチスが占領。1945年―1955年米英仏ソによって分割管理される。

 幅57m,長さ4kmの環状道路に囲まれた都心のシュテファン大聖堂,新旧のホーフブルク(王城),⇒ブルク劇場,⇒ウィーン国立歌劇場,ベルベデーレ宮,離宮シェーンブルンなど,ゴシック,ルネサンス,バロック様式の有名な建造物が多い。音楽においても⇒ハイドンや⇒モーツァルトからシェーンベルクにいたるまで多くの大作曲家を輩出した。演劇・文学では,ドイツ,フランス,イタリアなどの要素が入り混じり,独特な発展をとげた。153万9848人(1991)。

 

13:20 既にウィーン市内に入っている。もうすぐ右手にシェーンブルン宮殿が見えてくるはず。

13:55 昼食:ラーツケラー(市庁舎食堂):スープ&ターフェルシュピッツ

15:00 観光開始:

市庁舎/造形美術アカデミー/15:15 カール教会/これからリンク通りへ

15:16 オペラ座国立歌劇場/15:17 シュテファン大聖堂/15:18 ゲーテ(右)&シラー(左)の像/15:18 公園内にモーツアルトの像/自然史博物館&美術史博物館

15:22 王宮(ホーフブルク宮殿)・英雄広場等/国会議事堂/ブルク劇場/市庁舎/ボティーフ教会/ドナウ運河/スウェーデン広場/応用美術大学・博物館/市立公園

▲王宮では写真を撮影したりしました。

16:15 ナッシュマルクト/ウィーン劇場/

16:30 シェーンブルン宮殿

 向こうの丘の上に見えるのは、1757年の対プロシャ戦争の勝利を記念した凱旋門グロリエッテですが、そこまでどの程度の距離だと思いますか?1.2Kmだそうですよ。この庭は横幅の方がそれよりまだあるのです。

17:22 ベルベデーレ宮殿

17:36 ギュルテル(外環状道路)を走る。

17:49 右手南駅(東駅も入っている)

18:00 ベルデベーレ宮殿、外から撮影のみ/三越へ(但し、このあたりの店舗は18:00で終了。伊勢丹は18:30まで)/ANAの地下にはスーパーがあり。オペラ座を左に見て正面にケルントナー通りになる。(オペラ座とシュテファン大聖堂を結ぶケルントナー通り、ここが商業地。)

 ややこじんまりとした美しい宮殿だった。

19:00 ホテル出発/居酒屋へ/19:30食事

22:00頃ホテルへ戻る

HolidayInnクラウン・プラザ・ホテル泊
 11時ころになったら突然眠くなり、墜落睡眠のように熟睡した。


●ウィーンの交通について

 タクシー(呼び出し25シリング+料金+チップ5〜10シリング)/タクシーはタクシー乗り場から(オペラ座、シュテファン大聖堂等に乗り場あり)

 ホテル(ドナウ川ほとり)21番の路面電車30分で/プラッターで遊ぶのも良いここで乗り換え/地下鉄U1号線に乗り換えると早い

 切符は公共交通券は共通、全部OK/経済的には2種類(1回乗車券:同一方向1時間有効19シリング、路面電車バスは運転席後ろコインのみ22シリング/24時間:60シリングフリーチケット、時刻の刻印後24時間。駅でタバコ屋、駅の自動販売機−手順表示に従う−で買える。パンチは、最初の乗り物に乗るときのみ車内の青い箱で、地下鉄は柵のところにあり)

 Dという路面電車も便利(北から南へ抜ける)


続く