■1999/08/31火:サンモリッツからザルツブルクへ

準備編1準備編21)フランクフルトへ2)ハイデルベルクへ3)ローテンブルクへ4)フュッセンへ5)インターラーケンへ6)ユングフラウヨッホへ7)サンモリッツへ8)ザルツブルクへ9)ウィーンへ10)ウィーンでの自由行動11)帰国へ 
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 すっかり海外での通信もマスターしたと思ったのだが、ここの電話はまた特殊なもので、デジタル電話であった(これは会社の電話機と同じものなので、すぐにわかった)。おまけにゼロ発信なのに、ゼロを押しても状況が変わらない。これでは通じるわけもないのだが、この旅行中疲れがピークに達していて、早く眠りたい気持ちと、ガイドさんをわずらわせるのも可哀想と思い、通信はあきらめることにした。

 ことほど左様にホテルによって通信のための条件は様々で、通信のことは殆ど考えられていないのが実状である。日本でも同様の筈で、考えてみれば私が日本の出張で困っていないのは、PHSを通信に使っているから、というわけです。

 Webの方も、昨夜編集していたら、ユングフラウヨッホの号はループ状のリンクになっていて、見えないようになってしまっていた(予測できる人は見ることができたと思いますが)。これは修正して、次に接続できたときアップしておこう。今夜できると良いのだが.....。

 

6:00 起床

7:00 荷物・食事

8:00 出発

 結局、サンモリッツは宿泊のみで雰囲気を感じるだけで出発。途中、イン川に沿って山間を縫うように下る。家々の壁面には、この地方特有のレース状の模様が描かれている。もうこのあたり、イタリアの国境に近い。

 スイスは3年毎に車検(イタリアは車検なし)で、3年ごとに買い換えているのが普通。だから車がきれい。/また、世界各国の新聞が入手しやすい。/道路工事もしょっちゅう行われている。/それにしても利用できそうな緩斜面はどこへ行っても利用され尽くされているといった印象である。/窓に飾られている花の殆どがゼラニウム。(花期が長い、香りが強い、等の特徴があり)

 日本人が逆にこちらの物語を掘り起こしたりしている面がある(フランダースの犬、ムーミン等)。日本のアニメが今やヨーロッパ、アメリカで有名になっている。プレイステーションは日本から持ってきても使えない。ソフトも使えない。

09:35 国境Martina。しかし、あまりに寂しい。

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10:09 ゾル:オーストリアの正式の国境(入国)

 高速道はスイス、オーストリアとも年鑑支払\21000くらい。バス等不定期では\5000。/コーヒーはうまい。ウィンナーコーヒーはアインシュペナー、メレンゲ風はメランジュ、その他ブランジュ/ケーキもうまい。代表的なものザッハ、インペリアル、レーメル?。/アルプス山景の多いのはスイスよりオーストリア/EU加盟と宣言条約に加盟により同国扱い。/オーストリアの荷物は全部スーツケースの中でOK

 通貨はシリング(補助通貨はグロッシェン)、100円:11シリングくらいのレート/枕銭10シリング・飲み物5シリング・飲み物そのもの15シリング(バスの中での話し)

 ワインもなかなかうまい。酒になる前のシュクルムがかなりうまいとのこと。

10:51 ランディック:やはり渓谷の町。これまでの行程がすべて同様の印象であるが、大分下に降りてきているような気はする。この後随分周囲が開けてきた。

 

 ではオーストリアとはどんな国か?

●オーストリア_Austria_(大辞林/三省堂より)

 ヨーロッパの中央部にある連邦共和国。九州からなる。国土の大半はアルプス山脈が占める内陸国。西部のチロル地方は世界的観光地。酪農をはじめ、鉄鋼・製紙・化学などの工業が盛ん。一九三八年ドイツに併合され、第二次大戦後、米英仏ソ四か国により分割統治を受けたが、五五年に主権を回復し、永世中立国になった。住民はゲルマン系。

 言語はドイツ語。大部分がカトリック教徒。首都ウィーン。面積八万四千平方キロメートル。人口七五五万(1984)。オーストリー。正称、オーストリア共和国。〔「墺太利」とも書く〕

 

●オーストリア Austria(百科事典マイペディア97より)

◎正式名称―オーストリア共和国Republik _sterreich/Republic of Austria。

◎面積―8万3849km2。

◎人口―853万人(1995)。

◎首都―⇒ウィーンWien(153万人,1991)。

◎住民―ほとんどがゲルマン系。

◎宗教―カトリック88%,プロテスタント6%,ユダヤ教など。

◎言語―ドイツ語(公用語)99%,ほかにスロベニア語,クロアチア

語など。

◎通貨―オーストリア・シリングAustrian Schilling(1ドル=10.75オーストリア・シリング,1996年9月30日現在)。

◎元首―大統領,クレスティルThomas Klestil(1932年生れ,1992年5月選出,7月就任,任期6年)。

◎首相―クリマViktor Klima(1947年生れ,1997年1月就任)。

◎憲法―1920年制定。ほかに1955年10月制定の永世中立に関する憲法法規など。

◎国会―二院制。上院(連邦議会,定員64,各州議会で選出,任期4年),下院(国民議会,定員183,任期4年)。1995年12月下院選挙結果

,社民党71,国民党53,自由党40,自由フォーラム10,緑の党9。

◎GNP―1975億ドル(1994)。

◎1人当りGNP―2万4950ドル(1994)。

◎農林・漁業就業者比率―6.5%(1995)。

◎平均寿命―男73歳,女79歳(1993)。

◎乳児死亡率―6.1‰(1994)。

◎識字率―100%。

* *

ヨーロッパ大陸中央部の共和国。

〔自然・住民〕 スイスと並ぶ典型的な山国で,全土の約3分の2が⇒アルプス山系に属し,北東部の⇒ドナウ川流域に丘陵地が広がる。東端のいわゆるウィーン盆地はハンガリーの大平原(⇒プスタ)に連なる。ドナウ川の南西には,けわしい山脈が東西に走り,⇒グロースグロックナー山をはじめとする高峰が多い。気候は年平均気温7〜9℃であるが,地域によっては年変化が大きく,変化に富む。

〔経済・産業〕 国土の約37%が森林で,木材が主要輸出品の一つとなっている。農業では,小麦,大麦,ジャガイモ,テンサイが主産物であるが,食品類の輸入が多い。亜炭,鉄鉱,石油,天然ガス,黒鉛,マグネサイト,銅などを産する。水力発電が盛んで,工業が最も多くの労働力を吸収,鉄鋼・機械・繊維・化学工業が行われる。これらの産業の基幹部分は国有化されている。観光業も国の有力な財源である。ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)の原加盟国であったが,1995年⇒ヨーロッパ連合(EU)に加盟した。

〔政治〕 憲法は1920年に制定(1929年に大幅改定)されたものを,第2次大戦後復活,採用している。9州からなる連邦共和国で,元首は大統領(国民が直接選挙で選出,任期6年)。国会は上院と下院の二院制。戦後,国民党と社会民主党(旧,社会党)が国会の議席を二分してきたが,1990年代に入って,難民・外国人労働者への規制強化を訴える自由党が台頭してきた。1955年の⇒オーストリア国家条約で独立を回復,永世中立を宣言したが,総数約5万6000人(1995)の陸・空軍をもつ。

〔歴史〕 ドイツ民族による国家としての歴史は976年バイエルンの辺境領設置に始まる。ドイツ人の東方進出の中心地となり,バーベンベルク家の支配が続いた。13世紀末⇒ハプスブルク家領となり,16世紀にはハンガリー,ボヘミアを兼有,以後事実上ドイツ皇帝(⇒神聖ローマ帝国皇帝)を世襲するハプスブルク家の中心として発展した。その間15世紀半ばからしばしば⇒オスマン帝国(トルコ)と戦い,宗教改革期には⇒フス派戦争,⇒三十年戦争を経験。18世紀半ばの⇒オーストリア継承戦争,19世紀初頭のナポレオンの侵攻で危機に陥ったが,⇒ウィーン会議で再建後は反動体制の中心となった。ドイツの覇権を争った⇒普墺(プロイセン・オーストリア)戦争に敗れた後の1867年⇒オーストリア・ハンガリー二重帝国に改組した(⇒アウスグライヒ)。第1次大戦でドイツと結んだが敗れてハプスブルク家は倒れ,チェコスロバキア,ハンガリー,ユーゴスラビアが分離独立した。第2次大戦直前,ドイツによる⇒オーストリア併合(アンシュルス)があったが,戦後の1955年主権を回復した。速に台頭して九二年の大統領選でキャスチング・ボートを握り、その支持により国民党のクレスティルが当選した。しかし、受け身に立たされた社会党が、九五年末の総選挙で第一党の座を守り、八六年以来復活した大連合政権を維持し続けており、九五年には、国民の一部の反対を押し切ってEUに加盟し、中立政策離脱に動き出した。

 

11:30 アウトバーンに入って/11:41 インスブルックへ

 

●インスブルック Innsbruck(百科事典マイペディア97より)

オーストリア,チロル州の州都。イン川に臨む。アルプス越え交易 路の要点にあり,中世以来商工業,文化の中心。繊維,食品加工,製靴,ガラス器具,鐘の鋳造などの工業が行われる。⇒マクシミリアン1世の墓のある教会,ハプスブルク傍系一族の居城,総合大学(1669年創立)がある。1964年と1976年の冬季オリンピック開催地。11万8112人(1991)。

 

11:56 ホテルに到着:Greifホテル(マリアテレジアの作らせた凱旋門の直近)

 レストランの前の凱旋門からみた旧市街の方向。

 旧市内観光:広場/金の小屋根/ヘルプリングハウス/オットーブルク/ゴルデナー・アドラーホテル(金の鷹の意)

 古都の趣を良く残した都市、沢山の観光客が訪れていた。オーストリアの地図を購入。何故か、絵地図は下が北になっており、上の方にイタリアや地中海、アドリア海を描いている。このあたりの国は、そういった捉え方をすることが自然なんだろうか?昨日の氷河急行の案内図も同様であった。

 

12:40 昼食:魚のフライ、コーヒー(アインシュペナー)

13:31 出発/13:40 アウトバーンに入る/山の高さはスイスの時と変わらないような感じだが、その間の広がりが随分違ってきている。

 インスブルックから知らないうちにドイツに入る(14:25)感じで、また知らないうちにオーストリアに入る。

14:49 キーム湖(ここはすでにドイツ)。後30kmほどでザルツブルク。空が暗くなってきている。

15:10 集落が見えてきた。起伏も細かいが、やけに分散的である。ロマンチック街道周辺とはその点随分異る。

15:19 昔の国境を通過し、再びオーストリアへ。すでにザルツブルクである。

 

●ザルツブルク Salzburg(百科事典マイペディア97より)

オーストリア中部,同名州の州都。ザルツァハ川に臨む。東部アルプスの北麓,標高420mにあり,カプツィーナーベルク,メンヒスベルクなどの丘に囲まれる。観光・保養都市。⇒モーツァルトの生地で,生家が保存されており,1920年以来,毎夏国際的に著名なザルツブルク音楽祭が行なわれている。古代ローマ時代には商業の中心で,700年ころ司教区が置かれた。中世のホーエンザルツブルク城があり,市街にはバロック様式の名建築が多い。14万3978人(1991)。

 

15:45 ホテル着/トイレ、荷物を下ろす

16:01 ザルツブルク観光

16:15 ミラベル(眺めの良い)庭園(サウンドオブミュージックの舞台にもなった)

16:32 モーツアルトの住居、州のオペラ座、カトリック教会、カラヤンの生家等

16:36 ザルツアッハ沿岸(対岸は旧市街、ホー エンザルツブルク城など。こちら側は新市街)

16:48 モーツアルトの生家

17:29 ザルツブルク祝祭劇場その他

18:00 自由行動/コーヒー

 ここは、「ザルツブルクで最も小さな店」ということで有名な店。ここの近くのザルツブルクで最も古い喫茶店でウィンナーコーヒーを楽しんだ。

 

19:00 夕食:中華(まあまあおいしかった。マーボー豆腐はおかしなもんだったけど...)

20:30 ルネッサンス・ザルツブルク(旧名ラマダ)

 

続く